幼稚園受験願書/幼児教室に頼らない
少々過激なタイトルになっていますが、幼児教室のことを難じているのではありません。
「幼児教室」を「専門家」と置き換えてもいいですし、「ほかの人」に置き換えても同じだと思います。
要は、こどもの教育の主体はあくまでも家庭であり、幼児教室は家庭教育を補助する役割だという基本を忘れると、願書や面接などの重要な場面において幼稚園や小学校の側からすれば「家庭の教育」の様子が見えてこないことになるという話です。
確かに幼児教室には、願書の添削や面接のリハーサルのようなことまでメニューになっているところがあるのも事実ですが、それは、本来家庭で考え準備しなければならないことでも幼児教室に頼るらざるを得ない家庭が多いからだと理解するべきです。
そのような家庭が多いということは、あなたのこどもの願書の場合も、幼児教室に頼ってしまえば、願書の読み手というプロから見ると「またか‥‥」と受け止められる願書になってしまう懸念があるということです。
クローンでない限り世の中には同じ人間がいないように、ましてや夫婦、親子で築いている家庭に全く同じ家庭というのはあり得ないでしょう。
家庭で親がこどもを育てる思いや教育方針も、この世に全く同じというものはあるはずがありません。
ネガティブな言い方で「親の顔を見てみたい」という言葉がありますが、願書、中でも志望動機で幼稚園や小学校が求めているのは、ポジティブな意味で同じ視点だと思います。
欲しいこども、つまり入園、入学させたいこどもが、どのような家庭で、親のどのような思いや教育方針の下で育てられているのかを知り、「なるほど」と納得のうえ、合格させたいのだと思います。
幼稚園や小学校だって、志望するこどもの親の誰もが、判で押したように園、学校の教育理念や教育方針に全面的に共感・心酔することなど、不自然であり、あり得ないことだと考えているはずです。
幼稚園、小学校は、自らの教育理念、教育方針と各家庭のそれとは同じはずがないという基本認識の上で、それぞれの家庭教育の方針や思いが、園、学校の理念・方針とどのような接点を持って来るのか、その接点が教育成果を期待させるものであるかどうかを見ているのだと思います。
この「接点」は各家庭でそれぞれ違うはずであり、リアリティーのある「接点」の発見は、幼児教室ではなかなかむずかしいだろうと思うのです。
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カテゴリー:幼稚園受験・小学校受験の願書
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